お知らせ

「老子に学び、人としての器量を養う」第15回松南志塾_綜學勉強会を開催しました!


2022/08/15

本学勉強

こんにちは、松南志塾の豊嶋です!

 

松南志塾のOB・OGである豊嶋(インターン7期)と松葉(インターン11期)で、「綜學勉強会」を学生や20代の方向けに、月に1回のペースで開催しております。

 

この勉強会の開催の背景・目的として、現在私と松葉が綜學院(東京・京都)で月に1回林英臣先生のもとで、松南志塾の原点でもある「綜學」を自主的に学んでいるのですが、そこでの学びや、自分たちが得た気づき等を、学生や20代の若い世代の方々に対して自分のことばでお伝えし、一緒に未来や社会を良くするために切磋琢磨し合いたい!!という思いからです。

 

そして7月23日(土)に第15回目を開催しました。

※6月度は主催者都合にてお休みとなっておりました。

 

今回は主催者含め5名(内1名は耳だけ参加)で開催することができました!!

 

 

 

お越しいただきました皆さま本当に有難うございました!!

 

今回のテーマは老子です。

 

①老子(道家)と、孔子(儒家)の違い。(と老子を学ぶ意義)

②老子とは?老子の人生とは?

③老子の教えと最も伝えたかったこと

 

という構成で学んでいきました。

 

老子と孔子の違い(と老子を学ぶ意義)

 

まず、老子(道家)と、前回学んだ孔子(儒家)の思想との違いを簡単にイメージすると以下の図のようになります。

 

 

 

 

孔子の思想は、林英臣先生曰く『山の思想』であり、人としての威厳や、大義に生きることの尊さが述べられております。※勿論、仁といった『思いやり』の大切さも述べてはいるので、一概には言えませんが、、!!

 

一方、老子の思想は『谷の思想』であり、特に人としての懐の深さ、しなやかさ、謙虚さの大切さが語られております。

 

ポイントとしては、孔子と老子の思想両方をしっかりと学び、それぞれの良い考え・教えを自分の中に取り入れて、「バランスの良い人格を練り上げること」が非常に重要だということです。

 

『山の思想』、『谷の思想』それぞれ素晴らしい思想ではありますが、どちらか一方だけになってしまうと、偏りが生じてしまいます。

 

もし、『両方学びたいけれど、まずどちらから先に学ぶべきか?』となった場合は、個人的にはまずは孔子(儒家)の思想を学ぶことが大事だと考えています。

 

事実、我々日本人の多くは、江戸時代の寺子屋教育において、青少年の頃から論語を学んでおりました。(論語以外にも、孟子・大学・中庸等の儒家の教えを幅広く学んでおりました)

 

孔子(儒家)の思想は、人として生きていく上での基本となる「バックボーン、背骨」となるような教えですので、若い内は、まず孔子の思想、つまり論語に触れることが大切だと個人的には考えています。

 

一方、老子の思想は、社会に出て他の人との関わりが増える中で、また誰かを導いていくリーダーとしての役割を担っていく中で、上手くいかない場面、いき詰まる場面が出てきた際に非常に生きてくる学びだと個人的に考えています。

 

ですので、老子の思想に触れるのは、少し後でも良いのかなと考えています。

 

老子とは?老子の人生について

 

では、そんな老子とはどういった人物なのか?という話なのですが、実は生立ちとか経歴とか詳しくはよく分かっていないらしいんです。(笑) かなりミステリアスなのが老子なんです。

 

「老子の思想=老子道徳教」は、この後紹介していきますが、かなり掴みづらく、奥深い内容が多いのですが、出没年(生まれた年、亡くなった年)や、経歴があまり良く分からない「ミステリアスな人物」というところに繋がりを感じます。(笑)

 

文献的には、「老子の思想=老子道徳教」の成立はBC400~300頃でして、孔子が生きていた時代よりもかなり後(孔子はBC552~BC479)になりますが、孔子と老子が出会っていたという説があるんです、、、!

 

若い頃の孔子が、老子に教えを請いに会いに行ったのですが、孔子の若い頃の名誉欲の強さ、『俺が俺が』というような青臭さを見抜かれて追い返されてしまい、その時孔子が老子のことを、『実に奥深い人物だった』と述べたという、文献も残っているんですね。

 

年代的には辻褄が合いませんが、そもそも老子という名前は固有名詞的ではなくて、「老子=よく練られた人物」という意味ですので、そもそも老子は、1人ではなく複数人いたと考えられます。

 

よって、その場合、1人目の老子と孔子が出会い、その後別の2人目の老子の教えが、「老子道徳教」として、BC400~300年頃に成立したと考えれば辻妻があいます、、!

 

老子の教え

そんな奥深くてミステリアスな老子ですが、一体どんな言葉・思想を残しているのでしょうか。

勉強会では7つほど紹介しましたが、ここでは1つだけ書かせて頂きます。

 

 

▼言葉

上善は水の如し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る。

 

▼現代語訳

・最上の善とは、水のようである。水はあらゆるものを助けて、争わない。

・また、多くの人が嫌う所(≒下)に行こうとする。

 

▼ポイント

地球は水の惑星で、人間も動物も植物も、水によって生かされています。また、水は重力の働きによって、「下へ下へ」と行こうとします。その一方、人間は地位・名誉を求めて、水とは真反対の「上へ上へ」と行こうとしてしまうことが多くあると思います。そういうことを老子は指摘します。水に学び、水のように生きよう、と。

 

水のように周りの人を活かし、また驕らず謙(へりくだ)った人格を養おうということが、この言葉から学べるのかなと思います。

 

老子が最も伝えたかった事

 

なお、老子の思想は、「無為自然」というのが特徴だったりしますが、「無為自然=何もなさない」というようなイメージで、社会から離れて自分の世界に閉じこもり、世捨て人になることを勧めているように一般的には捉えられることが多いかもしれません。

 

が、じつは老子としてはそのようなことを訴えたかったのではありません。

 

小欲(自分の立身出世、他人との比較に一喜一憂する我欲)に生きるのではく、そういったものは全て無為(自分の人生に余分なことは徹底的にやらない)として、自分が生まれ持った長所を活かして大欲(世の為人の為に生きようとする気持ち)にのみ生きよ!!ということを伝えたかったんですね。

 

余分なことは」一切しないこと(無為)により、大事なことを為すことができるようになると

 

今を生きる我々も、他人と比較して一喜一憂したり、他者の成功を妬んだり、自分の立身出世を求めたり、小欲に囚われることが多々あるかと思います。余分なことをしたり、囚われることが多々あるかと思います。しかし、老子は、そういったものに囚われるな、余分なことはするなと。ただ自分の長所を活かして、天分、天命に生きよということを訴えています。

 

中々、他人との比較をしてしまう世の中ですが、そういった事柄に囚われず、肩の力を抜いて、余分なことは捨てて、自分だけにしか歩めない天命に生きようと、改めて自分も学ぶことができました。

 

今回紹介した老子ですが、非常に奥深い内容が多く、参加者の方々も中々難しいといった感想が多かったです。ですが、人生経験が増えていくことにより、この老子の奥深い思想が心に刺さってくるのかなあと感じています。

 

自分もまだまだ老子の奥深さを捉え切れていませんので、少しずつ人生経験とともに肚落ちさせていこうと思っています。

 

次回は8月27日(土)10時~11時30分で開催し、次は韓非子を学んでいきます。こちらも大切な学びとなりますので、ぜひお気軽にご参加ください。

 

綜學は生きていく上で、自分の軸となる大切な学びだと思いますので、学生(高校生・大学生)や、20代の方はご自由にご参加下さい。また、周りの方で興味関心がありそうな方がいらっしゃいましたら、ぜひお声がけ頂けますと幸いです。

 

我々もまだまだ勉強の途中で未熟者ですので、引き続き真摯に綜學を学び、自分の人間力を磨きながら、少しでも自分の言葉で人に伝えられるように精進して参りますので、どうぞよろしくお願いいたします!

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