日本人の魂のふるさと。山口県萩市へと再訪問!!
2024/03/07
本学勉強
こんにちは、松南志塾の豊嶋です。
昨年に引き続き志士かまくら(及び綜學勉強会)で一緒に学んでいるメンバーと、
山口県萩市を2024年2月24日(土)、25日(日)で訪問しました。(前回も2023年2月に訪問)
私は人生で通算3度目の訪問。
電車に揺られ、東萩駅に到着。萩は明治維新の景色・香りが今も変わることなく残っており、
『ああ、またここに帰ってくることができた・・』という何とも言えぬ安堵感。
自分のふるさと(生まれ故郷)とはまた違った、「日本人としての魂のふるさと」に帰ってきた、そのような気がいたします。
まずは、松下村塾、松陰神社に参拝。前日夜に到着した際には暴風雨でどうなることかと思いきや、翌日の朝は快晴。
吉田松陰先生が、我々を迎え入れてくれた、そのように感じました。
参拝後は、吉田松陰先生のお墓参り・ご挨拶を申し上げました。
その後は萩城下町、萩城近辺を散策。夜は雰囲気のある素敵な居酒屋でご飯とお酒で語り合う。
そして2日目。午前中、まずは「涙松」を訪問しました。
この「涙松」は、吉田松陰先生が安政の大獄によって江戸に送られる時に、
「かえらじと思いさだめし旅なれば、一入(ひとしお)ぬるる涙松かな」の一首を残している有名な史跡です。
萩市内から少し距離があり、車・タクシーで行くことも考えたのですが、空を見上げれば澄み渡った青い空。
レンタル自転車で、萩の香り、空気、景色を全身に感じながら、涙松へと向かうことにいたしました。
(坂もありますため、レンタル自転車は、電動自転車を借りさせていただきました・・笑)
少し道に迷いましたが、スムーズに涙松へと到着。
この「涙松」は、萩を離れ旅立つ人々が萩の城下町の全景を見渡すことができる最後の場所であり、
そのために、故郷・家族を想う心から涙がこぼれる場所として、「涙松」と呼んでおりました。
今まで訪問したことはありませんでしたが、当時吉田松陰先生が見た景色を、実際に自分の目で見たく、
また実際にどのような景色なのか(萩城下町を見渡せる最後の場所なのか)を確かめたく、今回訪問できることを心から楽しみにしていました。
実際に「涙松」に降り立ち、その後、萩市から離れる方向へと歩いていくと、道が緩やかなカーブになっているため、萩城下町が見えなくなりました。
「涙松」があった場所、そこが本当に萩を見渡す最後の場所だということを実感(感動!)致しました。
改めて、自分の五感で感じ取り確かめることの大切さ、当時の偉人と同じ景色を見る事、故人へ想いを馳せることの大切さを実感致しました。その後は、萩市内に戻り、明倫館、野山獄等を訪問致しました。
吉田松陰先生が収監されていた、「野山獄」も初めて参りましたが、市内にある(野山なので、山奥かと)のが意外だったのと、想像以上に「狭い獄舎」でありました。
吉田松陰先生が、収監されている間読書(合計500冊以上)に耽り、時には感情を露わにしながら励まれたこと、その情熱的な姿に囚人が心を動かされたこと、また、その後10名程度の囚人の方に対し、吉田松陰先生が孟子の講義をされたことは有名な話ですが、今回訪問して思っていたよりも狭い獄舎であったことから、そのようなこと(物理的な距離的にも周りの人を感化すること、お互いに話し合うこと)も可能だと感じました。
2日間の短い滞在期間ではありましたが、改めて自分の目で耳で足で学び取ることの大切さを感じると共に、
日本人としての魂を、吉田松陰先生、そして萩市全体から頂き、これから1年をしっかりと自分の志からブレることなく、歩んでいこうと決意しました。
2025年2月に再度訪問したいと思います。