座禅から學ぶ、「ものの見方・考え方」@志士かまくら2023.11
2023/11/28
志士かまくら
こんにちは、松南志塾の豊嶋です!
11月度に志士かまくらを開催しました!
11月26日(日)に実施した、通算15回目の「志士かまくら」についてご報告になります!^^
いつも通り8時~坐禅、その後勉強会(中国思想)でした。
勉強会の会場はこちらです!本堂の隣にあって、気持ちが落ち着く素敵な場所です。
今回のブログは(も笑)南方ゆりさんに書いていただきました!
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こんにちは!ゆりです。
今回もBlogを書かせていただくことになり、大変ありがたいです。笑
なぜなら私は、言語化の特訓期間中だからです。笑
今回の志士かまくらの活動で、1番印象に残った言葉は
禅居院の山名田さんが座禅を始める前のトークセッションでお話ししてくださった言葉です。
いつも、座禅をはじめる前に禅にまつわるエピソードやお話しをしてくださります。
最近はフランスなどのヨーロッパ圏の観光客向けに座禅をフランス語でご紹介していらっしゃるそうです(すごい・・・)
そして、私が特に印象に残った言葉は、
「言葉から発されるものって、全てがかりそめである。
だからこそ、かりそめであることを認識する視点を自分の中で持つ必要がある」
です。
その時はすぐ腑に落ちなかった(うまく理解できなかった)のですが、
後々振り返ってみた時に、なんとなく心で受け取れた気がしています。
例えば、自分の意見を他人に伝えるときに、
私が話している途中で「あぁなるほどね。理解した」と言われ、
そのままその人がその話題を解釈して話を進める。。みたいな経験が私はあります。笑
特に忙しい時や緊急時って、どうしても起きてしまうと思います。
その人の立場にたつと、私の発した言葉をそのまま受け取って、その表面的な言葉だけを理解して、
話し始めた。。。でも、私の心の中では「あぁ、伝えたいことはそこじゃないのになぁ・・・」となる。
自分がこう思うように、きっと自分も相手(他者)に同じことをしてしまっていると思います。
そして、相手から発された、かりそめ(一時的な、その場限りである)の「言葉」だけで、
相手が伝えたいことを完全に理解することはできないと思いました。
なぜなら…
発された「言葉」以上に伝えたかったことがあるかもしれない
「嬉しい」と表現していても、嬉しい80%、悲しい20%かもしれない。
「大丈夫」と発していても、「大丈夫」ではないかもしれない。
めっちゃ怒っているけど、申し訳ないと思っているかもしれない。
人から発された言葉や、本などの文字を通して発された言葉を
「表面的な部分」だけで受け取るのではなく、
実はこの人は「何を伝えたかったのだろう」と考えることがとても大切だと感じました。
「言葉の全てはかりそめであることを自分で認識する」視点を持つだけで、
自分や物事を客観視することができ、一つの見方にこだわることがないので、
心が生きやすくなると思います。
次の座禅のトークセッションも楽しみです。。。笑
本日は以上です!最後までご拝読いただきありがとうございました☺️
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