お知らせ

東洋(中国)思想に学ぶ&「癒し」について!@志士かまくら2023.06


2023/06/24

志士かまくら

松南志塾の豊嶋です。

2023年6月度の「志士かまくら」に関するブログです!

  

『志士かまくら』とは、2022年5月より鎌倉でスタートした10代、20代の志を持った方を育み、切磋琢磨し合う学び舎です。

  

今回のブログは、毎回福岡から飛行機に乗って熱心にご参加下さっている森口さんです!(^^)

==================================== 

こんにちは、志士かまくらで学んでいる森口です。

『志士かまくら』の12回目を2023年6月11日(日)に開催しましたので、活動のご報告です。

今回も、北鎌倉にある臨済宗建長寺の禅居院をお借りしまして豊嶋さん、松葉さん、そして私達20代の参加者3名の計5名で行いました。

 

◆坐禅に関して

8時から9時までは坐禅を組み、心身と呼吸を整えました。個人的には、今回の坐禅は以前より集中できたような気がします。

ですが、気づけば睡魔や雑念で坐禅に集中できていない瞬間がたくさんありました…。

今日よりも明日、今月よりも来月、より良い坐禅の時間にできるよう、向上心を持って次回取り組もうと思います!

 

 

◆東洋思想の学び①(孔子と老子の違い)

さて、今回は東洋思想の二回目でした。

前回の復習をした後、孟子の性善説と老子の性悪説を比較しながら学びました。

  

まずは前回のおさらいから。孟子や孔子(山の思想)と老子や荘子(谷の思想)の違いについてです。

  

孟子や孔子は人としての威厳や世のため人のために生きることの尊さを述べており、

これを林英臣先生は「山の思想」と仰っています。

  

それに対し、老子や荘子は人としての懐の深さ、謙虚さの大切さを唱えており、これを「谷の思想」と言います。

  

志を達成していく中で、「その人がどんな人格なのかも重要になってくる」という話が講義中に出ました。

  

何かしら人々の中心となって世のため人のために大事をなそうと思えば、バランスのとれた人格者でなければ、周囲の人達もなかなかついてきません。。

  

だからこそ、調和の取れた人格を持つためにも、どちらもバランスよく学び、その学びを自身の生活の中に落とし込んでいくことが何より大事なことなのかなと感じました。

 

 

◆東洋思想の学び②(性善説と性悪説)

ここからは今回の内容であった、性善説と性悪説から見る多面的な人間観について。

まずは孟子の「人には皆良心がある」と唱える性善説について具体的に見ていきます。

  

今回は「四端」という人間に本来備わっている4つの感情について学びました。

「四端」とは、惻隠、憎悪、辞譲、是非の4つの性質の総称のこと。

  

「惻隠」は何かをほおっておけない感情、憎悪とは世の中に対する憤り、辞譲とは礼儀を重んじる心、是非とは正しいこと、間違っていること、物事を分別する心のことです。

「四端」が、発達したものを「四徳」と言います。

そもそも備わっている4つの心(四端)を、人間が行動することで発達していくものが「四徳」になります。

 

 四端       四徳

 惻隠   ➡   仁(じん)

 増悪   ➡   義(ぎ)

 辞譲   ➡   礼(れい)

 是非   ➡   智(ち)

 

本来人間に備わっている四端が、人間の「行動」によって四徳に発展するということは、何もしなければ徳は磨かれないということです。

  

行動・実践により徳は磨かれるのです。そうすることで、人々から「信」を得ることができるんだそうです。

  

いくら知識だけあっても、行動・実践しなければ、人としての魅力は磨かれないということですね…

  

「徳」という漢字の「彳(ぎょうにんべん)」は、「四つ路道路の左側」を表しており、「行」、「往」といった言葉に使われます。

ですので、「行動しなければ徳は得られない」ということが、語源、漢字そのものが教えてくれています。

  

今回、人間は「四端」というものすごく素敵な性質を与えていただいて生まれてきているんだということを知り、4月の志士かまくらで学んだ「古事記から学ぶ人類に与えられた使命と役割」にも通じる部分があるなと講義を拝聴する中で感じていました。

  

人として、日本人として生まれてきた自身の天命を全うするためにも、自分の中にある「四端」を「四徳」に発展させるための行動を日々行っていきます。

  

約1年と少し、綜學や東洋哲学を学んでいる身として、日々のだらしない生活態度を反省すると共に、より気が引き締まるような内容でした。

 

続いて、荀子の「人は元々悪である」という性悪説について。

  

荀子は人の真心だけに頼ることはできない、道徳的規範、礼儀をしっかりする心構えが必要であると述べており、これを礼治主義と言います。

  

話は少し変わりますが、日本の「道」とつくものは全て礼に始まり礼に終わります。個人的に剣道や茶道をしていたのですが、礼儀に関しては一番最初に教えられ、大切にしていた記憶があります。

  

幼少期に教え込まれたこともあり、自然と礼儀を重んじる心構えを持てていたような気がしますが、今は気が緩んでいるので、常に意識する必要があるなと感じました。

  

絶対に慢心だけはせず、他人のことを思いやる心、相手を敬う心を忘れないようにしたいです。

荀子先生の教えに関してはまだまだ学びが浅いので、今後深めていけたらなと考えています。

  

◆参加者発表ー『健やかに幸せに生きるための「癒やし」の存在』ー

現在の志士かまくらでは、参加者が興味・関心のあるテーマを自分で学び、それを発表しています!

豊嶋さんに東洋思想のご講義をしていただいた後、前回の南方さんに続いて、今回は私が発表させていただきました!

  

今回発表させていただいたテーマは

『健やかに幸せに生きるための「癒やし」の存在』についてです。

 

 

このテーマにした理由として、

私自身が歩んできた人生と志が関係しています。

 

私は中学生くらいの時から何かと体調を崩しがちで

思うように学校に行けなかったり、勉強することができませんでした。

  

朝起きれない、日中作業に集中できない、どんどん増えていく不調…

中学生の頃から1〜2年前までそんな日々が続きました。

  

周りの友達が”当たり前”にできていることが、自分にはできない。

自分自身に怒りや悔しさを感じ、特に数年続いた浪人期間は不安で不安で毎晩一人で泣いていたことを思い出します。

  

これだけいろんな人に迷惑と心配をかけて、お世話になっているのに、

何も自分の力で前に進めない私なんて生きている価値がないと感じていました。

  

ここで少し、こんな絶不調時代の私を振り返ってみようと思います。

  

・精神的に孤立していた。いろんな「つながり」を自ら遮断していた

・生きるための基本である「食」を蔑ろにしていた

・病気は人に治してもらうことが当たり前だと思っていた

・自分は「被害者」という意識が少なからずあり、何でも環境のせいにしていた

・今思えば、全てが「不自然」な状態だった

  

挙げればきりがないくらいまだまだありますが、今回はこれくらいにしておきます。

  

こんな私だったのですが、ひょんなことからここ数年たくさんの素敵な方々との出会いに恵まれ、貴重な学びとも出会うことができました。気づけば、悩んでいた不調もだいたい消えていました。

  

なぜ、絶不調から抜け出せたのか…

  

これまでの様々な経験の中で、生きる上でものすごく大切なことを体感したからです。

  

それは「当たり前のこと、身近にあるもの」に感謝をする心を持つことが大切だと言うこと。

そういった心は「つながり」の中で芽生えていくものなんだということ。

  

人とつながること、自然とつながること、自分とつながること。

  

私含め、物質も情報も恵まれ過ぎている現代人がつい忘れてしまっていることなのではないでしょうか。病気になる人、私のように原因不明の心身の不調で悩んでいる人が多い理由の一つかもしれません。

  

不調時代の私は、当たり前のことに感謝するどころか、自分自身と向き合うことができていませんでした。自己とのつながりを全く持てていなかったのです。

  

自分の中にある不調、自分の心身の声を自ら聞こうとせず、誰かに見つけてもらい、そして癒やしてもらおうとしていました。

  

綜學や東洋思想を学んでから、自己と向き合うことがいかに重要か日々実感しています。自己と向き合う中で自分の弱さに涙する日も多々ありますが、その時間を大切にしているからこそ、心が成長していき、それに従って身体も元気になっていくような感覚があります。

  

自分の心身の声を聞いていると、不調になりかけの時は早めに対策できるし、長期的に体調を崩すということがだいぶ減りました。メンタル面もそうです。

  

綜學的な学びは人々の心身をも元気にするんですね…本当に今の時代に求められる学問だと感じます!

  

当たり前にある存在にちゃんと意識が向き始めた時から、健康に、そして笑顔で過ごせるようになったことをお話ししてきましたが、ここで一つ例を出してみようと思います。

  

「食事の時間」です。

  

食事の際に、私はこんなことを考えて「いただきます」と手を合わせるようにしています。

  

「目の前のお米やお野菜はどこでどんな人が作っていて、そして誰かが栽培して、あの道の駅にどんな人が運んできて、どんな人がお店に並べてくれたんだろう…そもそも田んぼを耕してくれた先人達、そしてそれを守ってきてくださった人達のおかげで今こうやってお米を頂くことができているんだよね…」

  

食事の時間は自然と人と、そして自分とのつながりを実感できる最高の時間です。偉大なる自然とのつながりを大切にしながら、人々が汗水を流して生きるために食物を懸命に育て、そうやって大切に作られた尊いものを食べて自分は今毎日息をしているんだ。

  

そう考えたら、目の前に白ごはんがあるだけでも奇跡で、感謝の心が湧いてくるのです。

どんなに質素なご飯でも、とても満足して頂くことができます。

  

結果的にそういう質素なご飯が身体にとっては良いようですし、一石二鳥です^ ^

(最近は白ごはんとお味噌汁とお漬物が私にとっては贅沢品です笑)

  

大事なのは「心」が伴っているかどうかだと感じます。どんなに健康に良いと言われている食事をしても心が伴っていなければ、自分の価値に合わない食事は全てが悪者に見えてきます。そうなっては心身ともに健康とは言えません。やはり体調においても調和が大事で、心が乱れると体調も乱れるものです。

  

「健全なる精神に健全なる生命が宿る」

  

中村天風先生もこう仰っていました。

  

今回は食事を例に出しましたが、日々の疲れや不調を治し、自分を癒してくれる存在は案外、身近であったり、自身の中にあったりするのかもしれませんね。

  

毎日の何気ない通勤通学の時間であったり、ご飯の時間であったり、寝る前のちょっとした時間を自分を癒す時間に変えることだってできます。

  

歩いている時は、これまでいただいてきたご縁にひたすら感謝しながら歩いたり、反省すべきところは反省しながら歩いてみる。少しでも未来がよくなるよう、小さなことでもいいから今できることを考えてみる。

  

たくさん頑張った一日の終わりには、温かい心で自分自身 を包んであげて、今日寝る場所があることに感謝をしながら優しく目をつぶる。ほかにも、普段の生活の中で自分を癒やしてくれる瞬間はたくさんありそうです。

  

今後も健康に関する学びと経験を積み重ねていきながら、なかなか「つながり」を感じる場面が少なく、誰にも相談できずに何かしらの不調で苦しんでいる人たちに直接この内容を届けていきたいです。

  

大切な人達、そして日本人の健康を守りたい。心身ともに健康でいてほしいし、笑顔でいてほしい。

そんな想いで今回発表させていただきました。

  

拙い発表を最後まで真剣に聞いてくださり、本当にありがとうございました!

  

人は、歴史という「つながり」の中で生きています。健康一つとっても、やはり先人の智慧や精神性から学ぶことの方が圧倒的に多いです。今後も志士かまくらでの学びを、人々の健康にどう置き換えていけるかとしっかり考えながら参加したいと思っています。

  

来月も、鎌倉という土地で、そしてこのメンバーとともに学べることが楽しみです。

  

来月もよろしくお願いします!

NEW 最近の記事

カテゴリー

一般社団法人 松南志塾    〒595-0071 大阪府泉大津市助松町3-11-20   E-mail:info@risshi50.jp