お知らせ

「日本最高の政治家 聖徳太子に学ぶ十七条憲法」第19回松南志塾_綜學勉強会を開催しました!


2023/01/23

本学勉強

こんにちは、松南志塾の豊嶋です!

 

松南志塾のOB・OGである豊嶋(インターン7期)と松葉(インターン11期)で、「綜學勉強会」を学生や20代の方向けに、月に1回のペースで開催しております。

 

この勉強会の開催の背景・目的として、現在私と松葉が綜學院(東京・京都)で月に1回林英臣先生のもとで、松南志塾の原点でもある「綜學」を自主的に学んでいるのですが、そこでの学びや、自分たちが得た気づき等を、学生や20代の若い世代の方々に対して自分のことばでお伝えし、一緒に未来や社会を良くするために切磋琢磨し合いたい!!という思いからです。

 

そして1月21日(土)に第19回目を開催しました。

 

今回は主催者含め6名で開催することができました!!

 

ご参加の皆さま有難うございました!!

 

さて、今回のテーマは聖徳太子と十七条憲法です。

 

①聖徳太子・十七条憲法とは?

②聖徳太子の生きた時代背景

③聖徳太子の生きた時代背景

④十七条憲法を読んでみよう

 

という構成で学んでいきました。

 

聖徳太子・十七条憲法とは?

まず初めに添付の通り、聖徳太子・十七条憲法の概要についてお話しました。

 

また、学ぶ意義としては、文明法則史学のソーシャルシステム(SS)の観点で説明しました。

当時、上古SS(古墳時代)が終わりを迎え、次の奈良・平安SSに向かう過渡期に聖徳太子は活躍しました。今の日本においても、第二次世界大戦で敗れたタイミングで、近代SS(明治維新~敗戦した昭和20年ごろ)が終わり、現在はソーシャルシステムが確立していない過渡期のタイミングにあります。

 

そのような国家の過渡期において、当時聖徳太子は何を成していったのか、どのような改革に売って出たのか、過渡期の時代・これからの新しい日本を創っていく上でも非常に参考になる点が沢山あります。

 

聖徳太子の生きた時代背景

その人の人生・考えを掴む上では、先ずはその時代背景を捉えることが重要になります。これは今回に限らず、あらゆる歴史を学ぶ上で重要なポイントになります。

 

聖徳太子の生きた当時の時代背景については、整理すると大きく3点になります。

 

①古い社会秩序の老朽化

当時は各地の豪族が自分たちの土地を占有していた私地私民の時代で、対立も激化していました。また、蘇我氏の専横があったりと、世の中が混乱し、従来の社会秩序が老朽化している状態でした。新しい社会秩序、体制づくりが必要不可欠な状況でした。

 

②東アジア情勢の変化

隣の国に統一王朝の隋が誕生し、日本の危機が迫っていました。(一方、隋は隣国の高句麗を攻撃しようと考えていたため、日本にとっては隋と対等外交行うチャンスでもありました)

 

③仏教文化の興隆

当時仏教はあらゆる先進文化を包含していました。(天文、建築、医術、美術、法律・戒律等)よって、日本が文明国家として確立し、世界で認められるためにも、このような最先端の仏教文化は必要不可欠でした。

 

このような時代背景を踏まえると、聖徳太子が何を考え、何を成そうと考えたのかが少しずつ鮮明になります。

 

聖徳太子の人生

592年に蘇我馬子が崇峻天皇を暗殺する大事件が起きました。その翌年の593年に聖徳太子は摂政となります。

そして、まずは594年に国家鎮護として仏教興隆の詔を出されます。『なぜ人は争い、妬み合い、憎み合うのか?』と心を痛めた聖徳太子は、そのような乱れた世の中を憂い、日本を復活させようとして仏教を取り入れました。

 

その後、若くて優秀な人材を登用するために、冠位十二階制度を導入し、また腐敗した役人に対して、冠位を与えられた者に対しての服務心得として、憲法十七条を制定しました。

 

名称は憲法となっておりますが、実は役人の服務上の規則・心得が十七条憲法になります。面白いのが、今を生きる我々世代にも、そっくりそのまま当てはめることができる、『人間学としての重要な教え』が憲法十七条なんです。(遅刻しないように、といった内容も第八条に記されています笑)

 

その後、607年に小野妹子らを遣隋使として派遣します。ここで大事なポイントは、将来の日本改新(大化の改新)を見据えて、南淵請安らも派遣していたことです。

聖徳太子は大化の改新が実行される前、622年に逝去することになります。

 

しかし、その随に送り込んだ南淵請安が日本に帰国し、私塾を開催し、そこで学んだ中臣鎌足・中大兄皇子が、蘇我氏の専横を645年大化の改新によって、食い止めることになります。

まさに国難を憂え、若くして色々と改革に着手し種を植え、そして自分の死後に芽生えることになったのです。

 

聖徳太子の実行性、先見性等、日本を代表する政治家として非常に卓越したものがあります。

 

十七条憲法を読んでみよう

幾つか紹介させて頂きましたが、本ブログでは1つだけ紹介させて頂きます。

第一条「和(やわらぎ)が大切」

▼言葉

一(ひとつ)に曰く、和(やわらぎ)を以て貴(とうと)しと為し、さかふること無きを宗と為よ。人皆党有り、亦達れる者少し。是を以て或は君父(きみかぞ)に順はずして、また隣里(さととなり)に違う。然れども、上和ぎ下睦びて、事を論ふ(あげつらふ)にかなふときは、則ち事理(ことわり)自ら通ふ。何事か成らざらん。

 

▼現代語訳

職場では、和やかな雰囲気が最も大切です。角が立つような状態がないようにしましょう。人はみんな自分の利害や考え方に囚われ、聡明な人は少ないので、時には上司・親に従わないことがあります。また、近所の人と考え方が異なり、うまくいかないことも起きえます。でも、上の人が和やかな空気を作ることで、下の者も仲睦まじくなり、そうやって良く話しあっていけば、お互いの考え方が自然と通じ合い、何事も上手くいくでしょう。

 

▼ポイント

和(わ)ではなく、本来は大和言葉で、『やわらぎ』と読む。大和言葉で読むと印象も変わる。つまり、仕事を進める上ではギスギスした状態ではなく、和らいだ雰囲気、仲睦まじい状態が大事。

 

このような形で十七条憲法を参加者の皆さまと一緒に学んでいきました。とある参加者の方からは、

 

『恥ずかしながら今まで十七条憲法の各条項を具体的に見たことがありませんでした。どれも個人の成長につながるものばかりで、時代を問わない内容に驚きました。17個それぞれ調べてみようと思います。本日ご教授いただいた中で特に印象に残ったのは第九条(信がなければならない)です。大和言葉を学び始めてから、言葉遣いを大切にしなきゃなと思いつつも最近はあまり意識できていなかったので改めて言葉遣いを大切にしようと思いました。まずは普段の言葉遣いを意識することで、人の道に徐々に近づいていけるよう精進してまいります。』

というコメントを頂きました。とても大切な学びがあったようで嬉しいです(^^)/

 

次回2023年2月25日(土)10時00分~11時30分で開催し、次も日本人として必学の「空海の密教」を学んでいきます。こちらも大切な学びとなりますので、ぜひお気軽にご参加ください。

 

綜學は生きていく上で、自分の軸となる大切な学びだと思いますので、学生(高校生・大学生)や、20代の方はご自由にご参加下さい。また、周りの方で興味関心がありそうな方がいらっしゃいましたら、ぜひお声がけ頂けますと幸いです。

 

我々もまだまだ勉強の途中で未熟者ですので、引き続き真摯に綜學を学び、自分の人間力を磨きながら、少しでも自分の言葉で人に伝えられるように精進して参りますので、どうぞよろしくお願いいたします!

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