お知らせ

「安岡正篤に触れて己を錬磨する」第11回 松南志塾_綜學勉強会を開催しました!


2022/02/24

本学勉強

こんにちは、松南志塾の豊嶋です!

 

松南志塾のOB・OGである豊嶋(インターン7期)と松葉(インターン11期)で、「綜學勉強会」を学生や20代の方向けに、月に1回のペースで開催しております。

 

この勉強会の開催の背景・目的として、現在私と松葉が綜學院(東京・京都)で月に1回林英臣先生のもとで、松南志塾の原点でもある「綜學」を自主的に学んでいるのですが、そこでの学びや、自分たちが得た気づき等を、学生や20代の若い世代の方々に対して自分のことばでお伝えし、一緒に未来や社会を良くするために切磋琢磨し合いたい!!という思いからです。

 

そして2月19日(土)に第11回目を開催しました。

 

今回は主催者含め、4名で開催することができました!!少人数でしたので、1人1人としっかりお話ができたので良かったです!

 

お越しいただきました皆さま本当に有難うございました!!

 

今回は、綜學の3本柱である、知(文明法則史学)、情(国学・大和言葉)、意(東洋思想、武士道精神)の内、「意」の学問になります。

 

「意」の学問をしっかりと学び続けていくことで、自分の人間力を磨き高めたり、志を定めることができます。

 

前々回、前回から引き続き「意」の学問となりますが、今回は歴代昭和首相の指南役「安岡正篤」の人生と、安岡正篤先生が語った言葉をご紹介させて頂きました。

 

安岡正篤先生は、経営者でも政治家でもなく、学問を通じて思想・哲学を深めてこられた方であり、表舞台に立つ方ではありませんでしたので、あまり一般的には多くの方がご存じないかもしれません。

 

しかし、東洋の思想・哲学をベースとしながら、歴代昭和首相の指南役として大変ご活躍された方です。

 

明治生まれで、大正~昭和にかけて生きてこられましたが、当時から既に日本という国の精神性の弱体化が起きており、それに伴う国家の将来性を憂え、日本改新を訴え続けられた方です。

 

今を生きる我々にも問いかけているような言葉を数多く残されており、今回はそのような言葉から、特に若い方に刺さるようなものをピックアップの上、紹介させて頂きました。

 

言葉をお伝えする前に、まず最初に安岡正篤のプロフィールを紹介させて頂きました。

 

その後に、厳選した言葉を8つほどご紹介させて頂きました。

 

①近代日本人の小ささ、感受性の乏しさ

②歳を取ると俗物になる/理想を持つことが大事

③情理が相まって人は動く

④本当の「利」の重要性

⑤歴史・先人に学んで人間力を錬磨する

⑥時代の守成期、末期に人間が小さくなる

⑦人物こそが全て

⑧いかに死ぬべきか

 

全ての紹介は割愛しますが、①と⑧について簡単にお伝えさせて頂きます。

 

①近代日本人の小ささ、感受性の乏しさ

実際の言葉

・之を要するに近代日本人の一般の弱点は甚だしく利己的である。甚しく物質的打算的である。人間が小さい、滅私奉公、義勇奉公、人生や国家の大事に対する感激性や身を挺するの道義に乏しい。非常に気分本位であり、理論多く抽象的であって、どうも情操の錬磨叡知の涵養ということが乏しい。

 

ポイント

やはり、物事に感激・感動する「情操」というものが養われることが大事だという話です。

 

ただ単に、歴史的な事実(XXXX年に戦争があった、XXXX年に○○という偉人が誕生した)というものを頭に知識として入れるだけではなくて、先人の生き様や、そのように行動した背景に心で触れて、震えるような感動・感激や喜び、またそれに伴って感謝の気持ちが芽生えることが非常に大事ということですね。

 

そのような心で感じ取る「情操」が養われることで、国家社会、未来に対する正義感、思い入れの気持ちが芽生えるということです。

 

参加者の中には、『自分の周りには、国家や、未来社会のために生きようとしている人がいるが、自分にはまだそのような想いが芽生えていない』との言葉がありました。

 

それはやはり、歴史、過去に対する『情操』つまり、心で感じ取る思い入れ、感謝の気持ちといったことが、学問や、もしくは自己体験(祖父に戦争体験を聴く、実際に知覧に行ってみる等)を通じて養われていないことに起因するのかもしれません。

 

感謝報恩という言葉があるように、やはり心で本気で感じる『感謝の気持ち』があって、初めて『周りの人や社会に対して恩返ししよう』という気持ちが芽生えるものじゃないかなと、感じています。

 

学問なり、自己体験を通じた『情操』が不足することによって、自分本位(自分だけが人生良ければよい)という考えを持った人が生まれてしまうのではないかと、そうならないように『情操』をいかに養うかが重要だということを、安岡先生の言葉から学び取ることができるのではないかと思っております。

 

⑧いかに死ぬべきか

実際の言葉

・人生観から見ましても、西洋民族においてならば我々はいかに生くべきかと考えるところを、東洋民族はむしろいかに死すべきかと考えて来ました。そのいかに死すべきかを実生活の原理として日本民族ほど純化したものはない。

・いかに死すべきかという覚悟の上に立って始めて日本的です。ただし、いかに死すべきかということは、ただ死を願う消極的な心ではない。ある偉大な感激の対象を求めて、それに向って没我的に生きよう、われわれが喜び勇んで、己を空しうし、己を忘れて没入していくような、そういう感激の対象を得ることを、日本語では「むすび」というのであります。

 

ポイント

『死』という言葉が出てきますが、これは早く死ぬことを進める内容ではありません。

 

人間は生まれた瞬間から、毎日死に近づいていますが、そのような中で、『誰のため、何のために生きるのか』、『何に命を懸けて生きていくのか』、『死をどのように迎えたいのか』ということを自問自答することが大事という内容です。

 

あのアンパンマンの歌詞において、『なんのために生まれて、何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのはいやだ』という内容が出てきますが、本当にその通りだと思っています。

 

人間は死がある以上、その死に向かって、何に埋没するのか、何に命を懸けるのか、そのような対象と一体となって生きること、そのような覚悟、志が大切だと感じています。

 

自分の場合は、この混沌とする時代において、綜學という人間学をベースに、志のある人を1人でも多く増やしていくことに埋没したいと思います。

 

今回の勉強会を通じて、参加者の方からは、

 

『先人の教えを学ぶことの重要性を学んだ』

 

『自分の理想的な人生や、理想的な社会とは何なのかをまず考える事から始めたい』

 

というようなコメントを頂きました。この勉強会を通じて、参加者の方の人生が実り多きものとなるための気づきが1つでもありましたら非常に嬉しく思います。

 

自分は、「志のある人を増やす」ということを志として、林先生から学んだ事を自分の言葉でお伝えさせて頂くために、綜學勉強会を引き続き開催して参ります!!!!

 

次回は3月26日(土)10時~11時30分で開催し、次は日本的な経営について、渋沢栄一翁と、松下幸之助翁から学んでいきます。ぜひお気軽にご参加ください。

 

綜學は生きていく上で、自分の軸となる大切な学びだと思いますので、学生(高校生・大学生)や、20代の方はご自由にご参加下さい。また、周りの方で興味関心がありそうな方がいらっしゃいましたら、ぜひお声がけ頂けますと幸いです。

 

我々もまだまだ勉強の途中で未熟者ですので、引き続き真摯に綜學を学び、自分の人間力を磨きながら、少しでも自分の言葉で人に伝えられるように精進して参りますので、どうぞよろしくお願いいたします!

 

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